インフィールドフライ2

このBlogで、インフィールドフライが発端でゲームセットに至る動画をご紹介しましたが、

インフィールドフライ

先日の試合で同じ様なプレーが起こりました。広島カープは、9回に1死満塁とサヨナラのチャンスを作ります。ここで先発大瀬良大地投手の代打に小窪哲也選手が打席に入ります。スコット・マシソン投手は内野フライに打ち取り、3塁塁審がインフィールドフライをコール(0分56秒あたり)します。しかし、サードを守る村田選手とファーストを守るフランシスコ選手がお見合いで捕球できず、ボールがフェアグランドに弾んでしまうのですが、フランシスコ選手がボールを持ち、本塁を踏んだ後一塁に送球します。その間に三塁走者の野間選手がホームを駆け抜けます。ただ、小窪選手がインフィールドフライでアウトとなっており、3塁走者をアウトにするにはタッチプレーが必要だったため、生還が認められました。
場内には責任審判員から説明があり、広島のサヨナラ勝ちがアナウンスされます(6分18秒あたり)

球審もしくは塁審インフィールドフライを宣告した時点で、打者はアウトとなります。塁上の走者はフォースの状態が解除されると同時に、進塁義務もなくなります。そのため、捕手が本塁に触球して(ボールを持ったまま踏んで)も三塁走者はフォースアウトにはなりません。ですから野手は捕球した時点で、本塁を踏んで一塁に送球するのではなく、三塁から走ってきた走者にタッチ(触球)すれば、打者走者と三塁走者の併殺で、そのイニングを終了することができました。
ではここで、例を挙げてみます。ワンアウト満塁の場面で、意地悪なセカンド「容易に捕球できる」はずのインフィールドフライをわざと自分の目の前に落したとします。3塁ランナーだったら、どうしますか?

– 3塁へ戻りますか?
– 塁が詰まっているのだから、ホームへ向かいますか?

ルール上は、ボールインプレイであるから、通常の飛球と同様に走者は捕球の危険をわきまえて進塁してもよい。捕球された場合は、走者はリタッチ(再度の触塁)をして進塁することができる…と書かれています。つまり、インフィールドフライが宣告されると打者は自動的にアウトですが、飛球が捕らえられていないので、リタッチの義務不要となるのです。つまり、プレーは続くのですが、打者がアウトですから、ランナーは押し出されることはなく、進塁の義務もありません。
本塁へ向かうのは自由ですが、そのかわりにタッチアウトになる危険があります。ランナーを混乱させようとして、わざとフライを捕らなかったセカンドのプレーに、まんまとはまってしまうことになるのです。また、本塁に向かわないまでも、「インフィールドフライだからボールデッド勘違いをし、塁を大きく離れてうっかりしていると、セカンドからの送球とタッチでアウトになる可能性があります。繰り返しとなりますが、インフィールドフライはボールインプレイです。ノーアウトかワンアウトで1、2塁、あるいは満塁で、インフィールドフライが上がった場合、ランナーは自分の塁に戻ってじっとしているのが安全な様がします。

さて、広島戦のシーンに戻ります。今回面白いと感じたのは、インフィールドフライを球審から宣告したわけではないため、ボールを追い掛けたきた野手4人(内2人は外国人)は、恐らくフォースプレーと判断したのだと想像します。事実、球審はしばらくの間「アウト」の合図を続けていました。個人的には、一番飛球に近い位置にいた球審がコールすべきだったのではと考えます。
(後日追記:)このシーンをプロ野球ニュースの解説者達が判りやすく説明しています。

色々な意味で、今後に役立てたいと思います…

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いばらの道

昨日、1人の新人選手が1軍初マウンドに上がりました。その選手とは、千葉ロッテのドラフト2位ルーキー、田中英祐投手です。京大出身初のプロ野球選手として話題になりました。デビュー戦の結果は、3回6安打5失点で敗戦投手となりました。その試合のダイジェスト版を観ましたが、緊張はこちらにも伝わり、初回、1、2番への連続四球から4失点を喫します。その後も立て直しがきかず、72球で降板しました。試合後、首脳陣はすぐに2軍には落とさず当面の救援起用(中継ぎ)を明言したそうです。これからの飛躍に期待したいと思います。

さて、彼がいつ頃からピッチャーを目指し、京大進学後なぜプロ野球というイバラの道を選んだのか、ネット記事(←ココをクリック)にこんな受け答えをしています。

― 小学校の時、ピッチャ―経験は?
田中: やりたかったんですけど、コントロールが悪くてやらせてもらえなかったんです。肩だけは強かったのでキャッチャーをやっていましたが、いいキャッチャーとは言えなかったですね。
― 中学でピッチャーに転向したきっかけは?
田中: 監督に「できるか?」と言われたので、「はい、できます」と。僕のピッチャー人生はそこから始まりました。中学の時にピッチャーをやっていなかったら、プロに行くなんてことはなかったと思います
― 京大野球部に入って、何か変化はありましたか?

田中: 自分に役割が与えられたので、それをこなしていこうという気持ちで練習に取り組んでいました。そうしているうちに、どんどん自分が必要とされている度合いが大きくなっていったんです。それに応えようと続けてきた結果、今に至っているという感じですね。
― いつからプロを意識するようになりましたか?
田中: 3年の12月頃からプロのスカウトの方が見に来てくれるようなって、それくらいから「もしかしたらプロに行けるんじゃないか」と思うようになりました。本気でプロに行こうと思ったのは、4年の8月です。

彼が選んだプロへの道、そのドキュメンタリー番組の動画はこちら(↓)です。

さて、学童野球での投手にまず求められることは、テンポ良くストライクを取ることです。しかし、肩の強い選手で、コントロールが悪いとか、コントロールを乱す原因がメンタルだけで片付けてはいけないと最近感じます。拙の息子が良い例なのですが、自身の体を上手くコントロールできないことが一番大きな理由なのかなと信じていました。だから、投げる方に関して新しいことは何も言わず、体の使い方を感じ、新たな感覚を得るための動きを年明けから続けてきました。すると、何か変化を感じたのか、大した投げ込みをしていないのに、ある程度全力で投げてもストライクが取れるようになっていました。その結果から、四球を出す恐怖からは脱した様で、最近ではボールのキレに興味を示し始めています。これも小さな自信成長ですが、ポジション(守備)への拘りを口にするのが学童の間なのか中学野球以降なのか、楽しみではあります。

まぁ、拙の独り言なんですけどね…

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