昨日、1人の新人選手が1軍初マウンドに上がりました。その選手とは、千葉ロッテのドラフト2位ルーキー、田中英祐投手です。京大出身初のプロ野球選手として話題になりました。デビュー戦の結果は、3回6安打5失点で敗戦投手となりました。その試合のダイジェスト版を観ましたが、緊張はこちらにも伝わり、初回、1、2番への連続四球から4失点を喫します。その後も立て直しがきかず、72球で降板しました。試合後、首脳陣はすぐに2軍には落とさず当面の救援起用(中継ぎ)を明言したそうです。これからの飛躍に期待したいと思います。
さて、彼がいつ頃からピッチャーを目指し、京大進学後なぜプロ野球というイバラの道を選んだのか、ネット記事(←ココをクリック)にこんな受け答えをしています。
― 小学校の時、ピッチャ―経験は?
田中: やりたかったんですけど、コントロールが悪くてやらせてもらえなかったんです。肩だけは強かったのでキャッチャーをやっていましたが、いいキャッチャーとは言えなかったですね。
― 中学でピッチャーに転向したきっかけは?
田中: 監督に「できるか?」と言われたので、「はい、できます」と。僕のピッチャー人生はそこから始まりました。中学の時にピッチャーをやっていなかったら、プロに行くなんてことはなかったと思います。
― 京大野球部に入って、何か変化はありましたか?
田中: 自分に役割が与えられたので、それをこなしていこうという気持ちで練習に取り組んでいました。そうしているうちに、どんどん自分が必要とされている度合いが大きくなっていったんです。それに応えようと続けてきた結果、今に至っているという感じですね。
― いつからプロを意識するようになりましたか?
田中: 3年の12月頃からプロのスカウトの方が見に来てくれるようなって、それくらいから「もしかしたらプロに行けるんじゃないか」と思うようになりました。本気でプロに行こうと思ったのは、4年の8月です。
彼が選んだプロへの道、そのドキュメンタリー番組の動画はこちら(↓)です。
さて、学童野球での投手にまず求められることは、テンポ良くストライクを取ることです。しかし、肩の強い選手で、コントロールが悪いとか、コントロールを乱す原因が「メンタルだけで片付けてはいけない」と最近感じます。拙の息子が良い例なのですが、自身の体を上手くコントロールできないことが一番大きな理由なのかなと信じていました。だから、投げる方に関して新しいことは何も言わず、体の使い方を感じ、新たな感覚を得るための動きを年明けから続けてきました。すると、何か変化を感じたのか、大した投げ込みをしていないのに、ある程度全力で投げてもストライクが取れるようになっていました。その結果から、四球を出す恐怖からは脱した様で、最近ではボールのキレに興味を示し始めています。これも小さな自信と成長ですが、ポジション(守備)への拘りを口にするのが学童の間なのか中学野球以降なのか、楽しみではあります。
まぁ、拙の独り言なんですけどね…