審判は石コロ?

選手達が試合を行う際、お父さんコーチには塁審のご協力を戴いています。野球の経験がないんだいう大人も、試合中、審判は石ころというフレーズを一度は耳にされたのではと思います。石ころですから、審判に打球が当たってもプレーは続行されると思いがちです。しかし、そうならないボールデッドシーンがあります。
先日、横浜スタジアムで行われたセ・パ交流戦 (DeNA vs. ソフトバンク)での出来事です。得点3-2でDeNAが1点リードで迎えた7回表2アウト満塁の場面で、バッターの柳田選手が二遊間にゴロを放ちます。その打球は、内野手よりも前に立っていた2塁塁審に当たり、センター前に転がっていきました。この間に、ランナー2人が生還しソフトバンクが逆転したかに見えましたが、この直後に審判からボールデッドの判定が下り、満塁の各走者は1つの進塁までが認められ得点も1点となりました。このジャッジに、ソフトバン工藤監督も猛抗議します。

さて、この試合の審判団は、打球が審判に当たった際、内野手(投手を除く)を通過しているか、いないかで判定を下しました。次の様な規則が、判断する上での基となった様です。

【公認野球規則5.06 「走者」】(旧5.09)
(c)ボールデッド
ボールデッドとなった際は各プレーヤーはアウトになったり、進塁したり帰塁したり得点することはできない。ただし、ボールインプレイ中に起きた行為(例えば、ボーク、悪送球、インターフェア、ホームランまたはプレイングフィールドの外に出たフェアヒット)などの結果、1個またはそれ以上の進塁が認められた場合を除く。
(6)内野手(ピッチャーを含む)に触れていないフェアボールが、フェア地域でランナーまたは審判員に触れた場合、あるいは内野手(ピッチャーを除く)を通過していないフェアボールが、審判員に触れた場合
=バッターがランナーとなったために、塁を明け渡す義務が生じた各ランナーは進む

上記の場合、ボールデッドとなり、走者は1個の進塁が許されるかまたは帰塁できます。

【公認野球規則5.05(b)『打者が走者となる場合』】 (旧6.08)
(4)フェア地域で審判員または走者に打球が触れる
野手(ピッチャーを含む)に触れていないフェアボールがフェア地域で審判員、またはランナーに触れた場合。ただし、内野手(ピッチャーを除く)を一旦通過するか、または野手(ピッチャーを含む)に触れたフェアボールが審判員に触れた場合にはボールインプレーである。
「原注」打球がピッチャーを通過してから内野内に位置していた審判員に触れた場合はボールデッドとなる。フェア地域で野手によってそらされた打球がまだインフライトの状態のままランナーまたは審判員に触れ地上に落ちるまでに内野手によって捕球されても捕球とはならずボールインプレイの状態は続く。

打者は、打球を放った直後からランナーとなります。上記ではアウトにされる恐れなく、安全に1塁が与えられます。(打者が1塁へ進み、自ら1塁ベースを踏むことが条件です)
内野手(投手を除く)をいったん通過するか、または野手(投手を含む)に触れたフェアボールが審判員に触れた場合には、ボールインプレイとなるのです。

今回のケースでは、投手を除くと、二遊間野手の手前にいた審判員に打球が当たったことから、【野球規則5.06(c)】が適用されたと考えられます。

それでは、打球が(投手を除く)内野手を通過したあとで審判員に当たるケースを考えてみます。【野球規則5.05(b)(4)】が適用できる例です。調べればあるもので、2013年シーズンのカープ vs. ジャイアンツ戦中に、そのプレーは起こりました。

3回裏2アウト、1塁にランナーがいます。広島カープの菊池選手が放った打球が一塁線へ転がります。ファーストを守っていたジャイアンツのロペス選手を通過した後に塁審へ直撃しました。打球は2塁方向に転がり、それをセカンドを守る藤村選手が捕球して、1塁走者が2塁でアウトとなりました。この場面では、打球が内野手後方にいた塁審に当たったため、ボールインプレイプレー続行となりました。つまり、審判は石ころという考えになります。

今回ご紹介したプレーはそう滅多に起こるわけではありませんが、審判をしていなくても、このルールを知っているとより一層野球が面白なると思います。

まぁ、拙の独り言なんですけどね…

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親の背中と言葉

読売ジャイアンツの鈴木尚広選手は、歳頃から父の教えで野球を始めます。野球のセンスは人並みだったそうですが、小学生の時から足は速かった様です。中学では陸上部に中距離選手として所属し、この頃毎日30km近く走ったそうです。福島県立相馬高校では、野球部に入り遊撃手控え投手を務めますが、甲子園進出はなく目立った活躍もありませんでした。しかし、俊足を買われ、1996年のドラフト位でジャイアンツに指名されます。入団当時は、右打ちの内野手でした。怪我をしやすい体質だったこともあり、しばらく二軍暮らしが続くきますが、その後両打ちを経て左打ちの外野手に転向し、現在に至ります。
オフシーズンには、年俸の半額近い費用で個人トレーナーと契約して食生活も変え、当時の高田2軍監督・緒方耕一守備走塁コーチなどの下で走塁技術を磨きました。ベースランニングは13秒3を記録しています。彼のアスリートとしての布石を描いた動画が、こちらです。

彼の実家は、「すずや」という精肉店と焼肉店を兼ねた店を経営しています。お店の跡を継いでほしいという思いもありながら、息子をアスリートとして育てあげたと映りました。彼が落ち込んで電話を掛けてきた時に、感じた母の思いと息子に返した言葉が印象的です。

親は半分泣きたいんだけど
私が泣いてもしょうがない
大丈夫、苦しみがあったら次は幸せが包んだ
苦しみがあるってことは、幸せに行くための準備なんだ

やはり、母の言葉が彼の成長を後押ししました。しかし、父親の仕事振り(背中)を目の当たりにしてきた鈴木選手は、母だけでなく父への思いもしっかり持ち続けています。

僕にとっては手の届かない存在
今でもそうですけど、お父さんは一番であってほしい
手の届くような存在と感じる時は寂しい
いつまでも、人間として、野球を教えてくれた親としても一番であってほしい

さて、この動画でもう一つ、気がついたことがあります。それは、試合に臨む準備向上心です。
鈴木選手は、どうしたらパフォーマンスをもっと高められるか考え続けています。昨シーズンのオフ、元スピードスケートの清水選手に教えを請うたという記事を読みましたが、これもプロの姿勢だと感じました。学童野球に携わる子供達は、一度はプロ野球選手になることを夢見ます。今の時点で、誰ががプロになれるのかは全く判りません。しかし、平日の自主練やグランド練習が、学校の宿題の様に「やらされている」とか「練習を作業の一つ」と同じと捉えている瞬間が映ります。これからさらに努力が必要な、険しい道程が待っていることはまだ十分理解できない年頃ですが、この小学生の時からでも鈴木選手様な姿勢を真似ることはできます。なんというか、プロに成りきってしまうことだけなら、誰でもできると思うのです。せっかくやり続けているのですから、どうしたら速いボールがなげられるか、どうしたら遠くへ速い打球を打ち返せるのか、一つ一つの練習と技術に追求を始めてほしいと思います。
つい先日、同級生の選手を持つ近隣強豪チームの父と話す機会があったのですが、親としては真剣に打ち込む我が子を見守り、大人も頑張る姿を見せ続けることなんだと改めて感じさせてもらいました。

まぁ、拙の独り言なんですけどね…

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