前回の独り言で、高木勇人投手がバント失敗で負傷した後、緊急登板した篠原慎平投手が、プロ初登板初勝利を挙げた事を少しだけ触れました。
「雲外蒼天(うんがいそうてん)」。育成3年目を迎える2月1日、キャンプ地宮崎の青島神社で絵馬にしたためた言葉で、「困難を乗り越え、努力して克服すれば“快晴”が望める」という意味だそうです。篠原投手は、1991年6月13日生まれの26歳のオールドルーキーです。愛媛県四国中央市出身で、小学2年で野球を始め、中学時代は川之江ボーイズに所属していました。愛媛県立川之江高校へ進学後は、2年夏に県大会でベスト4進出を果たしたものの、その後野球部の不祥事が発覚し高校を中退しています。その後、四国独立リーグの愛媛マンダリンパイレーツ入りした1年目から公式戦登板して4勝をマークします。その傍ら、通信制学校で学ぶ日々を過ごしました。しかし、2年目以降は低迷し、3年目には肩を痛めて手術に踏み切ります。術後の回復が遅れ、その後2年間は公式戦登板する事ができず、練習生として過ごします。愛媛を退団後は、トライアウトを受験し香川オリーブガイナーズ入りを果たし、2013年シーズンは3勝を挙げたものの、シーズン終了後に選手契約を解除されて、再び練習生に舞い戻ってしまいます。次々と試練に見舞われますが、現役続行を決意した翌2014年にはクローザーとして6勝10セーブの成績を残すと、球速も回復を見せ、最高球速は153㎞をマークします。度重なる挫折に打ち勝って結果を残したのは、篠原投手の野球への執念の凄さと、強い精神力の賜物としか言いようがありません。読売ジャイアンツに支配下選手として1位指名を受けました。そして、育成3年目の2017年、遂に支配下選手登録を果たします。2年目の2016年、長谷川潤投手と金伏ウーゴ投手が支配下選手に昇格すると、「大きいチャンスを逃した。悔しかったし、何やってんやろ…」とストイックさが増し、「遠慮したり、隙を見せたら終わり。全員が敵」とチームメートにすら対抗心を燃やし上昇の糧にしたそうです。ようやく、掴んだ1軍マウンドだったのですが、訪れたチャンスをしっかりモノにできた事が素晴らしいと感じます。
実は、高木勇人投手もチームのピンチを自身のチャンスに変え、この日のマウンドに上がったはずだったのです。春季キャンプでは紅白戦で押し出し四球を出し即2軍落ちしたものの、開幕後も2軍戦で3勝を上げ、防御率0・39と好調を維持するまで調子を上げました。1軍ではブルペンの補充要員として、篠原投手よりも先に昇格し、広島戦で2回から緊急登板すると強打の打線相手に5回2/3を無安打の好投を見せ、トントン拍子で先発機会を手にしたのですが、バント失敗で負傷し、あえなく2軍へ降格してしまいました。
頑張った選手へは、試合出場というチャンスが与えられます。ただそこで満足せずに、結果を出し続ける努力をした選手が、次のステージでの活躍に繋がるのかなと感じました。
まぁ、拙の独り言なんですけどね…