100回目の夏の甲子園は、大阪桐蔭高が参加3781校の頂点に立ちました。
3年生の高校球児の戦いは終わり、大学野球・社会人野球・プロ野球と次のステージへ向けて、これからの7ヶ月は野球に向き合う大切な時期に入るのだと思います。読売ジャイアンツの坂本勇人選手は、中学時代は伊丹シニアに所属し、その後青森県八戸市の光星学院高へ進み、3年の夏に甲子園の切符を掴みますが、1回戦で3安打を放つもチームは敗退し、頂点に立つ事はできませんでした。しかし、彼はその後プロ入りを目指すまでの過去を振り返って、この様に語っています。
「(3年夏までの)現役の時より練習していた。一番練習していたと思う」と振り返るのは、巨人の坂本勇人内野手だ。光星学院(現八戸学院光星)3年夏は青森大会決勝で負けて全国大会に届かず。「お金を積まれても高校の練習はしたくない」というほどの練習嫌いだったが、敗退後は後輩たちと毎日練習へ。プロで活躍するには何が足りないのかを自己分析し、最低3時間はティー打撃などでバットの軌道修正に取り組んでいたという。
高校時代の得意コースは外角低め。インパクト時に左脇があく癖があってアッパー気味にバットが出ていたが、内角に対してスムーズにダウンスイングが出来るように練習していたという。
「プロで内角が打てるようになったのは、あの頃の練習が基礎になっているはず」とは恩師の金沢成奉氏(明秀学園日立監督)。「天性の内角打ち」と呼ばれるが、実は3年夏後の自主練習につかんだ技術。いかにプロ入りまでの“自由時間”が大事かを物語るエピソードだ。
花巻東3年夏に岩手県大会決勝で敗れたエンゼルス・大谷翔平投手も「そこ(甲子園)が全部ではない。行けなかったとしても必ずプラスになることはたくさんある」と話していた。プロでの活躍を志す3779校の3年生にとって闘いは、もう始まっている。
引用元:敗退した3779校の選手たちへ…3年夏の敗戦後、光星学院・坂本勇人がつかんだ「極意」
中学野球も同様に、8月中には部活動もしくはクラブチームでの現役生活にも終わりを告げます。今回、坂本勇人選手の記事を読んでいたら、ふと3年前に呟いた自らの投稿を読み返してみたくなりました。
小学生から中学生になる時に抱いていた目標や気持ちが、3年後の今と比較して変わらずにいられる事は恐らく皆無に近いのでは思います。ですが、ソコソコ活躍できた選手もイマイチやりきれなかった選手も、1つでも「まだやれる事」を探して、次の7ヶ月を過ごしてくれたらと願っています。今ならもれなく、自分のための時間を過ごせますよ。
まぁ、拙の独り言なんですけどね…