学童野球から中学野球、中学野球から高校野球、高校野球から大学・社会人・プロ野球と次のステージでも野球を続けると決意した時、色々な形で次なる目標をというのを思い描くと思います。
次なる目標の設定1
今回は、2019年末に球団史上最高額となる5億円で契約更改した山田哲人選手を久々に取り上げてみます。なんでも、入団10年目以内での5億円到達は、高卒入団の野手ではイチロー氏、松井秀喜氏に次ぎ史上3人目なのだそうです。
取り上げたキッカケですが、この山田選手について、次の様な文章で始まるコラムを目に下からなのですが…
これまで山田の活躍には何度も驚かされてきたが、ニュースに触れるたびに「まさか、あの選手が……」の思いは消えない。
このコラムからの抜粋しますと…
ドラフト1位でプロに進むような選手は、小学生や中学生の頃から飛び抜けた活躍をし、多少の尾ひれがつきながらもさまざまな”伝説”を残しているもの。しかし、山田にはそうした類(たぐい)の話が一切ない。
以前、少年野球のチーム関係者に話を聞いた時も「こんなことになるとはだれも思っていなかった」「過去にもっとすごい選手がいました」といった話はあったが、「絶対にプロに行くと思っていました」という声は皆無だった。
履正社に進んでからもそうだった。高校3年の最後の夏を控えたある時、大阪の私学の監督と山田の話題になった。すると、その監督はこう切り出した。
「去年、ウチも履正社と試合をしているんですよ。でも、正直、山田に関してはほとんど印象がなくてねぇ。ドラフト上位候補と騒がれるような選手は覚えているはずなのに、ほんと記憶らしい記憶がないんです」
山田自身も、自らの少年時代をこう回想していた。
「小学生や中学生の時は、(自分の力が)そこそこ上のレベルにあるとは思っていましたが、プロに行けるなんて思わなかったですし、どこかの高校でレギュラーを獲って、甲子園に行けたらいいなと思う程度で……。それに中学の頃は友達と遊ぶほうが楽しくて、野球を辞めようとかと真剣に思ったことがありました。でも、お父さんの期待も感じていたし、辞めたら悪いなと思って続けましたが、野球が特別好きという感じではなかったです」
ドラフトを目前に控えた取材で、山田はこの1年の変化についてこう語った。ひと冬越えた間に何があったのかと聞くと、いかにも山田らしい答えが返ってきた。
「去年の秋にドラフト中継をテレビで見ていて、ほんと突然なんですけど『来年はここで名前を呼ばれたい』と強烈に思ったんです。それまでは『プロは行けたらいいな』ぐらいで、無理やろうなと考えていたのに、テレビを見た時に『来年は絶対に自分が……』と思ったんです。あそこで気持ちが変わりました。
それから練習に対する意識が変わって、それまではすぐに妥協していたのに、もうちょっと頑張ってみようとなったり、自主練習でバットを振り込んだり、今まで以上にトレーニングをするようになったり……。そういう積み重ねが結果として表われるようになったと思います」
この話を聞きながら、気持ちだけでここまで変われるものか……と思うほど、山田のプレーは格別に変わった。単純に結果ではなく、プレーから伝わってくる自信やグラウンドでの立ち居振る舞いなど、少しオーバーに言えば”別人”になったような感じがあった。