本年最後の独り言です。さて、「もういくつ寝るとお正月〜🎶」 の時期になりました。新年になると、神社へ初詣に出向いたり、グラウンド開きではチーム全体で必勝祈願に出掛けると思います。そこで、選手達への提案なのですが、
2017年の目標は、「xxできます様に…」の願い事ではなく、「xxします」と誓いの言葉を掲げてください。
以前から疑問に感じていたのですが、選手自身は書き初めや色紙に誓いを掲げるのに、なぜ神社でお祈りしてしまうのでしょうか?神様だって、これから新たな努力を掲げる選手達相手に、始める前から祈られても対応に困ると思うんですよね。個人的には、祈願するのではなく、目標を誓ってほしいんです。野球の神様は、誓った目標に向けた日々の努力を観てくれています。
祈願(お祈り)の方は、いつでも毎日自宅やグラウンドで彼らの成長と奮闘を願う、監督・コーチ・お父さん・お母さん達等の大人に全て任せる位が丁度良いと思います。
大会の開会式で目にする選手宣誓では、誓いを述べるのであって、願い事は言いませんよね?
そもそも、選手宣誓を誰に向かっているのかと聞かれれば、大会役員に対してではなく、野球の神様と応援してくれる人達に対してだと思います。ですから神様へは、どんな時も願い事ではなく誓いの言葉を述べてほしいなと思います。
彼らの誓いを目にしたり耳にする我々大人も、期待と応援が混同にしない様に気を付けなければならないと感じます。毎年の事ですが、新年度・新チームとして始動すると、ついつい期待が大きくなります。期待が大きくなる程、大人の気持ちだけが先走ってしまい、選手達の思いと大きなズレが生じてしまう悪循環を招きます。期待を裏切る結果を招いたり、何かもどかしいと感じた時は、落胆も当然大きくなります。感情的になって接してしまうのは、得てしてそういう時です。でも応援は、どんな状況でも変わる事はありません。大人の応援は、期待という勝手な押し付けとは異なり、選手達も意気に感じて必死なプレーを見せてくれるはずです。ベンチスタッフは、勝負事に勝つために必死に選手と戦っています。彼らを支える我々大人も、まだそれ程失うだけの自信も付いていない選手達を前に、練習する度に上達する彼らに厳しく接する事はあっても、応援に乗じて過度な期待の言葉や行動が表に出ない様、我慢を重ねて、彼らの後押しを続けたいと思います。
まぁ、拙の独り言なんですけどね…